昭和54年11月16日 朝の御理解



 御理解 第98節
 「心は神信心の定規じゃによって、お伺いする時には、とりわけ平気でなければならぬ。落ち着いて静かに願え。」

 お伺いをする時だけが平気でというのではない。いつも平気でおれるという事が信心の、教えて頂く者の功徳でなからねばならんと思うですね。いつも平静心心の中に安心。それにも増して喜び。そういう心でいつもおれる。神様の前に出る時には、とりわけ平気な心で平静心を持ってと。確かに神様にお伺いする時など、心に何か不安があったり、心が乱れている時には、お伺い出来るもんじゃありません。いわゆる神様と一体になれれる心の状態です。
 ですからいつも私共が、神我と共にありと簡単に申しますけれども、神様はまあぁいつもついておって下さるんですけども。そのついておって下さる神様をこちらの方が感じきらん。感じ取りきらんでおる事が多いのです。私共が心野中にそれこそ、我神と共にありというその実感がです。いつも安心であり安らぎであり平静心であり、又は喜びであるという事になるのです。
 そこで私は思うんですけれどもね。例えばおかげは和賀心にありと。今月今日で一心に頼めと、おかげは我心にあるんだからと、ま天地書附に教えておられますがです。もう今月今日只今で私共が頂いておかなければならんのが和賀心。その和賀心を、ま目指してと言うてもよいし、ま金光教の信心のいうならこれが芯ですからね。天地書附が和賀心。ですからその和賀心であれば、いうならばいつも平静心でおれるわけなんです。それは私は簡単に申しますとこうだと思うです。
 例えば「腹を立てない、不足を言うまい、人を責めまい」と一生懸命その精進を致します。そして私は腹を立てんですむ事の有り難さ、不平不足をどんな場合でも言わんですむ有り難さ。腹をどんな場合でも立てんですむ有り難さ、というところまで高められた時が和賀心だと思うですね。皆さん腹を立てちゃならんと思うて、一生懸命精進しておる。不平不足は勿論言うちゃならんと思いよる、けれども出ろうとするのをぐっとこう押さえる。一言何とか言わにゃおられん。
 責めずにずにおられないような場合であってもね。さここで責めちゃならんとこう精進する。その精進がいうならば積もり積もって、それがいうならば精進の徳になるとでも申しましょうかね。そして腹を立てんですむ事の有り難さ。不平不足を言わんですむ事の有り難さ。人を責めんですむと言う事の有り難さね。これが和賀心です。それにはね。いつも神我と共にありではないですけれども、いつも神様のお働きの中にある自分。ならどういう働きが会っておるかと言うと、いよいよ和賀心にせずにおかん。
 和賀心を与えずにはおかん、という神様のお働きである事を知る事です。ですから責めんで済むといや昔ならこんな時すぐ責めよったじゃろ。昔ならこんな時もうそれこそ悔やみ廻っておっただろうと。昔ならこげん時にゃ腹を立てておっただろうと、例えば思います様な」事がです。腹を立てんで済むどころか、人を責んですむどころか、不平不足を言わんですむどころか。それが有り難いという心が和賀心ね。これが普通の人なら腹を立てる事だろう。普通の人ならば不平不足を言う事だろうという中にですね。
 昨日富久信会でしたから、皆さんの発表を本当にそれぞれ素晴らしい発表をしておられました。どうぞ皆さん特にお商売をしておられる方なんかは、どうでも富久信会に出て見えなきゃいけません。もう素晴らしい発表がございます。昨日高橋さんが発表しておられましたが、先日から椛目のスマ代おばちゃん、私の妹ですがちょうど東脇殿の入り口の所であったら、先日、私あなたの御夢を頂きましたと言うて、妹が話したという話しをしておられました。
 お夢の中でね。高橋さんにいくら金が足らんでもね。足らんような顔をしてはならんという。どげんでしたかね。とにかく金が足らんけんと言うて、くうっとした顔をしちゃならん。又は本当に金が足らんち言うような、ま事を言うてはならん。どげんでしたかね。ちょっと言うて見て下さい。「金の足らん顔をしてるとおかげにならんばい」それがね神様とも親先生とも分からないけれども、あのう金の足らん顔をしておるとおかげにならんばい、というお夢を頂きましたよ高橋さん、と言うて言われた話を聞いて。
 成程そうだと合点したという、ま意味の話をしておられました。金が足らん。誰でもやっぱりくうっとする。あぁいつまでこんなに金に難儀せんなんだろうかと、普通なら思うです。ところが信心を頂いておるおかげでです。それこそ私のもう一番あの修行の激しい時分に、それこそ有り難い有り難いの一念に燃えてる時ですから、久保山先生がよく言っておられました。「本当に大坪さん、そげん有難かっですか」というふうに言われておりました。ところが有難かったんです事実ね。
 悲しいとかくうっとしたと言う様な、いうなら顔をしてない。いつも生き生きと瑞瑞しいもうとにかく、そういう心でもうそれこそ、一生懸命信心の喜びに浸っておった時分です。何とも言えん私はもうこれは大真理だと思いますね。金の足らんからと言うて足らんごた顔をしとるとおかげにならんばい、という事はもちっと神様を頂けるという事だと思うです。いうなら不平不足を言わんですむ事の有り難さ。
 腹を立てんですむ事の有り難さ。これは誰々があぁしたからこうしたからではなくて、それを責めんですむ有り難さに浸っておる時ならばです。そんなくうっとした顔やら、金の足らん顔やらはせんですむです。お互いいわゆる和賀心を目指しておるのでございますから。おかげと感じ取りきらないわけです。昨日は十五日で去年から、七五三のお祭りを若先生が斎主のもとに致します。もう一日中バラバラそのお参りがあると、その度に御祓いをせんならん。
 だからこれだけお参りがあるなら、ひとつ時間を決めといて一遍にお祭りしたらどうだろうか、という事で去年から初めましたんです。けれども七五三のお祭りなんて金光教ではなかけんで、こう離れたような感じがせんでもなかったんです。ところが今年直方の山本さんにお願いをして、あの甘木に三松屋さんという飴屋さんがあるそうですが、そこにあの千歳飴を注文してもらうようにお願いしてあったんだそうです。そしたら先日からそちらへ買いに行って頂いたそうですが。
 合楽の金光様ですかと。そんならこれはお供えさせて頂きますと言うて、沢山お供えを頂きました。まあ例えば一つが三百円したところで五十ヶお供えしてありますから、三五、一万五千円がたあるわけですからね。全然金光様の金の字もない。ここに御縁もないのに。勿論山本さんの顔もでしょうけれども、お供えをして頂いたというお供えをさして頂いて初めて、私は一年ぶりに気付かせて頂いた。
 そんなもんですよ。おかげをおかげと感じ切ってないんです。そげん言や去年も思いがけなく東京から沢山送って来たんです。その千歳飴を。だからもうすぐ去年から、私はこのお祭りが、まいうならば一日中ダラダラと参って来られたら、こっちが困るから。一緒にまとめてしょうと。金光教の信心に七五三のお祭りなんかて、あんまりこうぴたっとこんような感じだけれども、でさせて頂いたけど、もうすでに去年の七五三祭りから神様が先頭に立ってあのお祭りをしてござったという事が分かるでしょうが。
 それが去年は気が付かなかったです。一年ぶり今年もまた五十袋もそのお供えを頂いて見て、はぁこれは神様がこのお祭りは先頭に立ってござるんだな。七五三という子供のいうならば厄年です。いうならば節です、それを親達が、子供達がまだ分かる筈ありませんけん、親達がそれを御礼を申せれるお祭りとしてこれは大切だな。これから子供達を本当に、またお育てを頂くという事の上に於ても大切だなと。神様が先頭に立ってこのお祭りはしておんなさるのだな、という事が分からせて頂いたんですけどもね。
 いうなら神様の働きを働きと知るという事なんです。例えば腹の立つような問題も、不平不足を言わなければならないような問題もね。みんな神様のお働きであるという事が分かる時に、どういう事になるですか。腹を立てんですむだけではない、腹を立てんですむ有り難さというところまで高められるのです。不平不足を言わんですむ。もう本当に普通ならこれは責めるところじゃろうけど、責めんですむという事は、何という有り難い事だろうかという。その心が和賀心とあるのですからね。
 私共は和賀心を目指さしてもらう。神様にお伺いをする時には取分け平気な心でと、平静心でなからなければ神様との交流は出来ないが、ならお伺いをする時ではない、いつも四六時中神様と通っておきたいのです。その為にはいつも私共の心が平静心でなからにゃならん。平気な心でなからなければならない。そこには腹の立つ様な問題が起こっても、腹を立てんですむというだけではなくて、腹を立てんですむ事が有り難いと。それをいつも神様を外しとりますもんですから、あっいつも腹を立てちゃならん。
 ま腹を立てんと決めとるから腹を立てんとぐうぐう言うて、こらえんならんという事になるわけです。ここは、も責めたいばってんもう、ぐうぐう言うちから責めんでこらえとるではこれはきついですね。それでは和賀心ではない。もちろん稽古の過程ですから、というところもありますけれども。その稽古が段々出来てくると、神様のこういう働きを受けておるという事が分かってくる。分かってくるから。その事に例えば腹の立つような問題であっても、立てんですむ有り難さというものが頂けるんです。
 それを和賀心という。大抵水も漏らさぬ信心を私もしとると思いよったけれども、神様が一年間も分からんでおった事をです。一年振りにはぁ今年も、また思いもかけないところから沢山な千歳飴をお供え頂いて、はぁこれは神様が先頭に立ってなさっておられる、いうならばお祭りだなという事をです。分からして頂いて改めて御礼を申し上げた事でしたけれどもね。神様の働きである事を、私共が実感しておる時には。いうならば腹を立てんですむおかげを受けられる。平気でおれる平静心でおれるという事ですよね。
   どうぞ。